(シネマトゥデイ)
つのだじろうの「恐怖新聞」の設定のみを借りて作成された映画。原作「恐怖新聞」の主人公である『鬼形礼』の名前も一応だが出てくる。
父親が娘の死を予言する新聞を拾う。その新聞の予言通り、娘は死んでしまう。
本作はホラーとしては見どころはほとんどない。たしかにところどころ嫌ぁな雰囲気のある不気味な描写はあるものの、どちらかというと心霊を扱ったサスペンス、そしてある種のヒューマンドラマや過去改変ものに近い。同時上映された「感染」の方は、バリバリのホラーだった気がするので、上手くバランスは取れてたのではないだろうか。
序盤は状況というか設定説明の為か、あまりにも淡々と進みすぎていてやや退屈である。しかし後半は「このまま恐怖新聞による予言を受け続けているとやがて死に至る」というじわじわとした恐怖感が出てきて良くなる。そして終盤のある予言のあたりから、雰囲気は一変する。
いかにして予言を回避するか、そして主人公の選ぶ選択とは。
なんともホラーっぽくない不思議な後味を感じたいのならば、本作は是非おすすめである。
ちなみにちょい役だが電波少女として、堀北真希がキャスティングされていることにも注目。本当にちょい役なのがもったいない。
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「感動するホラー」という珍しいタイプの作品。ホラー要素は薄いが。
よくタイムリープものの作品(バタフライ・エフェクトとかシュタゲとか)を見ていた私は、早々に主人公の選択を理解してしまったが、それを差し引いてもラストの余韻というか展開はかなり偏愛的な作品。
後半の展開がやや窮屈なのは、前半で状況説明に尺を使いすぎたからだろうか。
輪廻
(2006年公開 清水崇監督) ★★★★★
《2015-07-21》
昭和45年、群馬県のホテルで無差別惨殺事件が起こる。35年後、事件を映画化しようとする映画監督・松村は、主演女優の渚らを連れて現場のホテルに足を踏み入れる。
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輪廻転生という概念がある。肉体は魂の器でしかなく、魂は次の肉体に引き継がれる。もしもその前世の記憶があるとするなば――いわゆる輪廻転生論の前世を扱ったホラー作品。
昭和45年に群馬県粕川郡の尾野観光ホテルで起きた無差別大量殺人事件を、椎名桔平演じる監督が映画化しようとし、その主役に優香が選ばれる。
ホラー的にはさほど怖くはない。ひょっとしたら最序盤の、人形の顔が崩れるシーンが最も怖いかもしれない。だがこの映画の本質はそこにはない。この映画は、構図の妙とそれを支える演出を楽しむべき映画だ。そういった点では一時間半、安心して見れるだろう。
+クリックでネタバレ感想
ホラー的には極端に目の離れた人形が非常に気持ち悪い。ラストあたりでぐんにょり動く人形も、なんともいえない気持ち悪さがある。しかし人形や、転生者が死に巻き込まれるシーンなど、さほど怖くないのはホラー映画的にはどうなのだろうか……。優香の死角を死者がつくカットなど、上手くはあるのだがいまいち怖さに欠ける。
とまれ、この映画の見どころはそこにない。私はミステリ読みであるが、まんまと騙された。完全に油断していた。
本作を見る前は、転生ものということで「殺された前世の記憶がある主人公が再び同じ恐怖に襲われる」というものだった。おそらく殆どの観客がそう思ったことだろう。それが既に術中であった。
香里奈の存在がありながらも、『優香=少女』であるという誤認をし続けたのは、電波少女の「転生先も同じ性別である」という先入観や、少女役にキャスティングされること、椎名桔平が映画化に拘る雰囲気、そして一番大きいのがホラー映画のテンプレートである『少女が見える』といったことだろう。
その実、この映画のキモである『「優香=少女」ではなく「優香=殺人者」』によって、「理不尽に襲われる」という恐怖から「復讐」へと構図が華麗に反転する。それを見せる方法も優香パート・香里奈パート・そしてハンディカムの上映パートを細かく繋いでひとつの物語に仕立てているのが非常に上手い。
この映画の観了感は不条理な恐怖から「復讐」という理詰めの転換の効果で、ホラー映画というよりミステリを読んだ感覚に近い。ホラー映画の手法を上手く逆手に取ったミステリ作品である、と言えるのではないだろうか。
恐怖
(2010年公開 高橋洋監督) ★☆☆☆☆
《2018-06-28》
幼い頃、不思議な白い光を見た姉妹。その17年後、姉のみゆきは死への誘惑に憑り付かれて失踪してしまう。妹のかおりは姉の行方を追う中で、異様な脳実験を繰り返す母親と再会し…。
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その、なんだろう……はじめの15分ほどの最大風速はかなり高い。
頭を繰り抜き、脳味噌をいじるという非人道的な実験をする映像から、どこに繋がるかわからない奇妙な病室のシーン。ここまでは本気で傑作な雰囲気があった。
……が、急にわけがわからなくなる。話の根幹としては、パスカル・ロジェの映画『マーターズ』のような、外科的手段で『向こう側のナニカ』を見ようという思想があるのはわかるのだけど、ある種その為の方法を描き続けるというシンプルだった向こうに対し、こちらはそれによって『何が引き起こされたか』が描かれているのが大きくて真逆な違い。なのだけどあまりに説明を放棄しているせいでよくわからないことになっている。
最序盤や要素、あるいはシーンで部分的にはなかなか「オッ」と思うし、ジャケット(というかポスターというか)のビジュアルもホラーホラーしていてよかったのに……。
いずれ確認のためにもう一度見たいなぁとは思うものの、なかなかする気にはならなそう。